【法話・ことば】慈悲のはたらき

慈悲のはたらき

 

私事ですが二月に結婚一周年を迎えます。一般家庭で育った妻にとってお寺に関する全てが分からない事であり、浄土真宗のみ教えも含め多くの質問が私に投げかけられます。その都度二人で答えを考えるわけですが、そんなひと時や一緒にお勤めをする時間を通して、共に同じ道を歩んでいるという実感がしてうれしく思われるときがあります。

一方、都合の悪いときには、自分の意見を押し付け相手を尊重できないことも珍しくありません。折角関心を持って学ぼうとしている人を私の言動で邪魔する事があってはならないと反省しながら、また同じ事を繰り返す日々です。

 親鸞聖人とお連れ合いの恵信尼公は、お互いを観音菩薩と慕い合っておられました。それはお互いやその家族といった限定的な世界のみを慈しみ大切にされたのではなく、その他すべてのいのちも同様に尊重していける世界に開かれたお二人であったからこそ、慈悲の象徴である観音菩薩として互いを仰ぐことが出来たのだと思われます。

見習って私も・・・というふうには到底なり得ません。自分の都合に合わせた言動で周りを犠牲にする私でした。

 

阿弥陀仏の慈悲とは、そんな私にあるべき理想を示しそこに到るよう促したところで、その理想に追い付けない私であることを知り通した上、そのままに照らし肯定して下さるはたらきであったと気づかせていただくことです。それに居直ることなく少しでも相手を尊重出来るよう、先ずは目前に迫る結婚記念日を大切にしたいと思うことです。

 

(この記事は2021(令和3)年1月31日(日)に更新しました。文責は浄円寺住職。)