【法話・ことば】今をどう生きるべきか、どう生かされているのか。

 新型コロナ感染拡大による寺院活動への影響調査アンケートが昨年度、山口教区全寺院対象に実施された。その結果からもこの数年、寺院を取り巻く状況が大きく変化したことを感じる。法事や葬儀の形態変化、また法座・寺院行事の開催についても不安を感じる寺院経営者は多く、全寺院の七~八割が不安を感じている。また、浄土真宗寺院の継続に関してもそうであり、寺院合併や解散も多く、実例を多く聞くようになった。

 

 しかし、ふと浄土真宗寺院成立の歴史を振り返り、親鸞以降の教線拡大から見れば、このようなことは度々存在し、我々の先達は、時代の先を読みながら、時代の要請に立ち向かったからこそ、800年の歴史が存在しているのではないか。慌てず、各人が知恵を絞り、親鸞の思想を次世代に伝える努力を続けていくことが肝要ではないかと思えるのである。光林寺では、兼業しか寺院継続は考えられないが、可能な限り、ご門徒さんとのコミニケーションを第一に考え、また、イエ社会が崩壊したとはいえ、次世代の方々に対して、色々なアプローチを試みている。その結果として、コロナ波のなか、堂内のエアコンの導入、合同墓の設置、堂内納骨堂の建設に踏み切った。それに伴い、堂内のLED照明化や境内の整備も進めた。ご門徒さんの寺院葬儀(密葬)、寺院での法事の実施件数も増え、相談件数も増えている。次世代の方々への仏事バトンタッチを始めなければならない。

 

 学生時代に真宗は「葬式仏教」と揶揄された。しかしながら、現実は「葬儀」すらまともに出せない状況になって来ているのだ。「通夜」の省略や火葬も終わってないにもかかわらず、葬式内初七日(火屋勤行・還骨勤行の省略)を実施したり、果ては直葬まで…。10月号「宗報」では、葬儀の際の「法話」の重要性を説いていた。儀礼や法話の現代的な意義を再認識し、葬儀という場で人びとと関わる中で求められていることに対応しなくてはならない。少なくとも光林寺では「臨終のお勤め」の終わりの際に「法話」を。通夜当日は「納棺勤行」「帰敬式」「通夜勤行」の後に法話を。葬儀当日は「出棺勤行」「葬場勤行」「火屋勤行」「還骨勤行」「初七日法要」の後、「法話」を実施させて頂いている。

 

 小さな積み重ねを各寺院、各僧侶ができることから始めて、修正を加えながら、継続することが、次世代に法灯をつなげることにはなるまいか。さらに、消滅集落を少しでも減らし、農業放棄地を増やすことよりも、「しあわせ」を感じる地域小社会になるための努力も中山間部に存在する寺院として、忘れてはならないと考えて行動している。

 

                          文責 光林寺住職 安藤良樹

 

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【法話・ことば】相手の気持ちに寄り添う事

「電話応対コンクール」という競技会の全国大会が11月山口市で開催されます。企業が商品の注文や機器の故障などを電話で受付する際の、受付者の電話応対技能を競う大会です(私も昔少し関わっていました)。ここには、各県大会を勝ち抜いた、銀行、保険、運輸、製造業など様々な業種の電話受付のプロが集います。受付者には、お客様に満足いただくため多くの技能(話し方、商品知識等)が必要とされますが、技能以外に大切な事があります。それは「相手の気持ちに寄り添う」心です。相手が何を望んでいるか、何に困っているか、何に怒っているかなど、相手の立場を理解し気持ちに寄り添い会話する事が大切なのです。それが疎かになると自分中心の自己満足で終わる事があるからです。

ただ、相手の気持ちに寄り添う事は難しいものです。他人と接する時、心の奥には己の事ばかりある事に気づきます。しかも自己主張がもてはやされる時代です。しかし、己だけを拠り処とする自己が膨らむ一方で、私の心は幸せで満ちているでしょうか。

  専如ご御門主様は、ご親教「念仏者の生き方」の中で「仏法を拠り処として生きていく事で、私達は他者の喜びを自らの喜びとし、他者の苦しみを自らの苦しみとするなど、少しでも仏さまの心にかなう生き方を目指し、精一杯努力させていただく人間になるのです」と仰っています。真の幸せは、相手の気持ちに寄り添い、己と他人の満足を自分の幸せと感じる事であり、少しでもそれに近づく努力の中にあるのではないでしょうか。 

                  

(この記事は2022(令和4)年11月6日(日)に更新しました。文責は正恩寺住職。)

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【法話・ことば】コロナ禍の葬儀

コロナ禍において、ご葬儀のあり方もずいぶん変わってまいりました。

人の接触を避けるため、「家族葬」など少人数の葬儀が多くなりました。

コロナ収束後も、「家族葬」のままでよいのではないかとの声も聞くよう

になりました。

浄土真宗本願寺派の葬儀は、ご遺族や参列者の皆様が共に、阿弥陀佛の救いの力(他力本願)を讃え尊び、故人が極楽浄土へ赴く事を喜び感謝する、という趣旨で行われるものです。
全ての人々はこの世での生を終えたら、すぐさま極楽浄土に迎えられ仏となります。そして、必ず故人とも再会できる(倶会一処)、としています。

そのご縁に会うことが出来るのが、ご葬儀です。

この機会に、ご葬儀について皆様で考える事もよいと思います。

 

また、焼香の作法ですが、焼香は額にいただかずに1回とされています。
浄土真宗では「香をお供えする」という意味から、1回だけ香をつまんで、額におしいただくことはせずに焼香をします。
また、香を香炉にくべる前に合掌はせず、りんを鳴らしたりもしません。

 

(この記事は2021(令和3)年10月24日(日)に更新しました。文責は西教寺住職。)

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【法話・ことば】布施の実践

 仏教は、布施を行うことを説きます。相手の身になって他に施しをする。お金や物を与える。

仏様の教えを説く。困っている人を助ける。等々、、、布施の行いは、無限に広がっていきます。

 「まず笑顔 私にできる 布施の行い」

 ある時、寺の掲示板に書いた言葉です。これこそ、誰にでも出来る布施と思います。笑顔で、やさしい顔をして思いやりの心をもって、ほかの人と接する。

 コロナ禍で、人と会うときにマスクが外せない日々が続きます。マスクを外して、堂々と話せる日が来ることを楽しみに、今から布施の実践をさせて頂きたいものです。

 

(この記事は2021(令和3)年6月13日(日)に更新しました。文責は明山寺住職。)

 

 

 

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【法話・ことば】自他ともに心豊かに生きることのできる社会

新型コロナウイルス感染で、海外では都市のロックダウンや外出禁止などの強力な対策が行われたにもかかわらず、感染が拡大しました。一方、日本では外出「自粛」や休業・時短「要請」という対策で、爆発的な感染拡大を抑えることができているようです。これは、私たち日本人が「皆で力を合わせて」「自分勝手な行動をしない」「人に迷惑をかけない」という「自制」のきいた行動を自然にとれるからだとされています。

 しかし一方で、感染者に対するいわれのない追及、非難や、医療関係者やその家族に対する差別的な言動が伝えられ、「自粛警察」「マスク警察」と呼ばれる「自制」を受け入れない人に対する非難行動も報道されています。日本ではこのような行動の多くが匿名で行われていて、これは海外では見られないことなのだそうです。

 私たちは、意識しないままに、自分中心にものを考え、人を差別し攻撃するという行動をとってしまいます。しかもその行動傾向は、コロナウイルス感染のような見通しのたてられない困難な状況の中では、増幅され激しくなるのだと言います。少数の人をターゲットにして差別非難する、「不正を正す」と称して攻撃する、などの行動です。

 今回のコロナウイルス感染の中で、私たちが目指す「自他ともに心豊かに生きることのできる社会」の姿をもう一度とらえなおし、自身の行動を見直したいと思います。

 

(この記事は2021(令和3)年2月28日(日)に更新しました。文責は壽福寺住職。)

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【法話・ことば】慈悲のはたらき

慈悲のはたらき

 

私事ですが二月に結婚一周年を迎えます。一般家庭で育った妻にとってお寺に関する全てが分からない事であり、浄土真宗のみ教えも含め多くの質問が私に投げかけられます。その都度二人で答えを考えるわけですが、そんなひと時や一緒にお勤めをする時間を通して、共に同じ道を歩んでいるという実感がしてうれしく思われるときがあります。

一方、都合の悪いときには、自分の意見を押し付け相手を尊重できないことも珍しくありません。折角関心を持って学ぼうとしている人を私の言動で邪魔する事があってはならないと反省しながら、また同じ事を繰り返す日々です。

 親鸞聖人とお連れ合いの恵信尼公は、お互いを観音菩薩と慕い合っておられました。それはお互いやその家族といった限定的な世界のみを慈しみ大切にされたのではなく、その他すべてのいのちも同様に尊重していける世界に開かれたお二人であったからこそ、慈悲の象徴である観音菩薩として互いを仰ぐことが出来たのだと思われます。

見習って私も・・・というふうには到底なり得ません。自分の都合に合わせた言動で周りを犠牲にする私でした。

 

阿弥陀仏の慈悲とは、そんな私にあるべき理想を示しそこに到るよう促したところで、その理想に追い付けない私であることを知り通した上、そのままに照らし肯定して下さるはたらきであったと気づかせていただくことです。それに居直ることなく少しでも相手を尊重出来るよう、先ずは目前に迫る結婚記念日を大切にしたいと思うことです。

 

(この記事は2021(令和3)年1月31日(日)に更新しました。文責は浄円寺住職。)

 

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【法話・ことば】コロナ禍での仏事雑感

 令和2年という年は、まさに”新型コロナウィルス感染”の情報から片時も目を離せない辛い一年になりました。外出には必ずマスクを着用し、手洗いを怠らず三密を避けるという生活スタイルにも慣れてきたといはいえ、いつまで続くのかという不安も拭えません。寺院での法要行事も”三密にならないように”を何より優先し、クラスター発生の原因を作らない為にと、行事の中止を余儀なくされた時期もありました。

 また、各ご門徒のお宅での年回忌法要も、同様に、従来の形式から大きく変化しました。法事のご案内を受けてお参りされたご親戚の方々と、法要の後でご一緒に、亡くなられた方を偲びながら語り合ってお斎をいただく席も、当然、変えられていきました。

 しかしながらその一方、寺のほうに来られて、ご法事を希望されるお宅が増えました。お寺なら広くて換気を気遣う事なく、安心して皆が集まることができるというそんな考えからでしょうか?そのお宅のお仏壇に納められている過去帳は、本堂のご本尊の前卓にご安置されて、読経、そしてお焼香。幼児から高齢者に至るまで、県内に住んでおられるご親戚の方々が多い時には、一度に十数人、夏から秋にかけて、寺で何組もお受けしました。

 核家族の家庭が普通になった昨今、幼い孫を伴って、寺に参ってこられる年配者の方々は皆無となりました。ところが、コロナ禍の厳しい状況の中で、偶然、甦った昔のままの懐かしい風景がそこにはありました。縁側に出て走り回る可愛いお客様達に、接待用にと出しておいたクッキー・おかき・駄菓子を紙袋一杯に詰めて渡しながら、「また今度、きっと一緒にお寺にいらっしゃいネッ、待ってるョ!!」。

 それも仏教、これも仏縁、何事も仏縁と、如来様とご先祖の方々のお導きに、感謝とお礼のお念仏が口を突いて出て下さるのも嬉しい事です。

 

(この記事は2020(令和2)年12月27日(日)に更新しました。文責は浄誓寺住職。)

 

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【法話・ことば】亡き方は、お盆に限らず、いつでもどこでもご一緒です

お盆の頃となりました。お墓参りをしたり、お寺にお盆参りをお願いされる方や、この1年で、ご家族が亡くなられた場合は、初盆としてお迎えの方もおられることでしょう。

 

よく、お盆の時期に質問されるのが、盆提灯についてです。「盆提灯を飾らないといけないのですか?」答えは「どちらでも構いません。」必ず必要なものではないですが、ご親戚などからいただいた場合など、飾られてもかまいません。

 

ただし、亡き方が帰ってくる目印にとか、迎えたり、送り出したりといった意味合いでの、盆提灯は必要ではありません。

 

浄土真宗のみ教えによれば、亡き方は阿弥陀仏によって仏となられて、お盆に限らず、いつでもどこでも私たちとご一緒におられ、導き見守っていてくださいます。

 

親鸞聖人のご和讃には、次のようにあります。

 安楽浄土にいたるひと

  五濁悪世にかへりては

  釈迦牟尼仏のごとくにて

  利益衆生はきはもなし

 

お浄土に往生された亡き方々は、迷いの私たちの世界にかえってきて、お釈迦様がされたように、私たちを導いてくださっています。生前の思い出や、亡き方との心の会話を通して、私たちは教わります。限られたいのちであること、様々な縁によって私たちの人生が成り立っていること。そんな大切な事を仏のはたらきとなって、私たちに示していてくださいます。

 

亡き方々はお盆の時期に限って、往来するわけではなく、仏となって、いつでもどこでもご一緒です。ですから、お迎えや送り出す意味での、盆提灯などは必要ありません。しかし、お盆の習慣を縁として、日頃忘れがちな仏となった亡き方々を偲び、阿弥陀仏や仏さまのお導きへの報恩の想いで、お参りしましょう。

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【法話・ことば】やり直せぬ人生を見直す

ことばを紹介します。

 

「やり直しのきかぬ人生であるが 見直すことができる」金子大栄

 

明治〜昭和におられた真宗大谷派の僧侶、近代の思想・宗教の大家である金子大栄氏のことばです。

 

(この記事は2019(平成31)年3月16日(土)に更新しました。文責は壽福寺住職・養福寺住職。)

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【法話・ことば】まず知らないと・・・

ことばを紹介します。

 

「まず知らないと 考えられないから 知りたい」又吉直樹

 

お笑いタレントでもあり、芥川賞を受賞した小説家でもある、又吉直樹さんのことばです。

 

(この記事は2019(平成31)年3月1日(金)に更新しました。文責は正善寺若院。)

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【法話・ことば】許そう。あなたも許されているのだから

ツイッターTwitterで話題の小池一夫さんの著書『人生の結論』(朝日新書2018年)の帯の言葉。

 

相手を許すことは難しい。しかし、自分を振り返ってみれば、許されてばかりだった。自分も相手も許され、認められる世界で生きたいものですね。

 

不定期ですが、法話の他に、身近な「ことば」を味わう記事を更新します。

 

ちなみに、お寺の掲示板の言葉を対象にした「輝け!お寺の掲示板大賞2018」(10月31日まで)も開催中です。お寺の「ことば」にご注目ください。

 

(この記事は2018(平成30)年9月16日(日)に更新しました。文責は萬福寺住職。)

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【法話・ことば】お彼岸が西にある理由

 秋のお彼岸の季節となりました。彼岸とは、仏様のお悟りの世界の事です。彼岸の頃、真西に夕日が沈むその景色を見ながら、昔の方々は遠いお浄土の事を思い、亡き方々を偲んできました。

 

 しかし、現代の科学的な知識でみようとすると、西の彼方にお浄土があると言われてもそうは思えません。「ずっと西に行けば地球を一周するだけじゃないか。昔の人はそれを知らないから、ただ信じていたんだよ。」と言いたくなるかもしれません。

 

 この事については、実は昔から、ちゃんと示されているのです。「西というのは、日の沈む様子を人生の死にあわせて西と示して下さったのだよ。そして、私たちが仏様の世界を讃えやすいように、あえて西と方角をさだめて、お勧めくださったのだよ。」

 

 私の頭の知識ではなく、届けられている仏様の智慧の心をいただきましょう。南無阿弥陀仏

 

(この記事は2017(平成29)年9月17日(日)に更新しました。文責:萬福寺住職)

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